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historyMaruishiグループの
歴史
パチンコホールの運営を主軸とし、フィットネス事業、飲食、不動産業など総合的なサービス業を展開する株式会社アサヒディード。実はその前身は、朝鮮の農家で生まれた一人の若者が起業した「醤油醸造」の会社でした。
こちらでは、Maruishiグループの歴史、会社沿革についてご紹介いたします。
グループの歴史
戦後の復興期から高度成長期、そしてバブルと時代の荒波を乗り越え、パチンコ業界でひときわ存在感を放つMaruishiグループ。これからの人生100年時代において人々の「健康」を支える丸石物産。その創業から今日までの70年を振り返りご紹介します。
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創業者・徐奇煥
1946-1966(創業前史)
草創期当社(Maruishiグループ)の前身は、終戦間もない1946年に大阪生野区で創業した醤油醸造会社「丸石醤油」。創業者は1919年に日本統治下の朝鮮(現大韓民国)で農家の長男として生まれ、その後日本に渡った徐奇煥先代社長です。焦土からの復興を目指す日本の地で、自らも新たな人生を切り開いていこうという意欲に燃えた弱冠27歳の若者でした。
起業家精神に富んだ先代は醤油製造から事業を始め、9年後の1954年には大阪市東区材木町(現中央区)に、パチンコホールの1号店である「銀星」を開業します。その後、不況で厳しい状況が続くなかでも、大阪市内を中心にパチンコホールを次々とオープン。1960年には、現在の「エリート池田」の前身となる「池田センター」が誕生しました。
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1967-1997
成長・発展期先代はさらに事業の多角化へと舵を切ります。ボウリング場やスケートリンク、プールを併設した総合レジャー施設「アサヒスポーツセンター」を大阪市東成区にオープンしたのは1967年。そのスケールの大きさから「東洋一のレジャー施設」と呼ばれ、話題を集めました。
ところが、1970年代初頭に日本を襲ったオイルショックの影響、ボウリングブームの終焉などもあり、アサヒスポーツセンターの経営は厳しい状況に追い込まれます。それならと、先代は本業のパチンコ店経営に活路を見出していきました。そのなかでも、1974年にオープンした「エリート東住吉店」は象徴的な存在でした。この成功を機に、組織も株式会社化。「株式会社アサヒスポーツセンター(略称ASS)」の誕生です。
オイルショックによる不況が続くなかでも不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で事業に打ち込んできた先代社長が、病に倒れ帰らぬ人になったのは1977年のことでした。創業者を失った会社は先代の伴侶だった板倉照子を新社長に迎え、20代の長男・板倉行央(現アサヒディード代表)が専務となりこれをサポートしていくことになります。
その後、1970年代後半にはパチンコ革命ともいえる「フィーバーブーム」が起こり、会社にも追い風の兆しが現れ始めます。板倉専務は追い風の吹いているときだからこそ、接客やサービスを充実させ、パチンコ店としての体質強化を図るべく尽力しました。この頃から「人を育てる」ことを重視する社風が急速に根づいてきます。
イル・サローネ三宮店
ブームの後押し、そして接客・サービスの強化が功を奏し、事業も順調な成長軌道に。1983年に人口集積地だった門真市に「エリート大和田店」がオープンし、さらに勢いに乗ります。1990年初頭には、パチンコが30兆円産業といわれるまでに急成長。1991年には、社名も新しく「株式会社アサヒディード」へ変更されました。さらに1993年には、業界では珍しく新卒採用をスタート。以来、今日に至るまで新卒採用は継続しています。
同じ90年に生まれたのが、新ブランドの「イル・サローネ」です。1995年オープンの「イル・サローネ茨木」を皮切りに、池田店、三宮店を相次いで打ち出していきました。なお、イル・サローネ茨木の店舗設計は世界的な建築家であるアルド・ロッシ氏を起用したことでも話題となりました。
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イル・サローネみてじま店
1998-2017
進化・飛躍期1990年代初頭から半ばにかけてパチンコ事業を急拡大させてきた当社がさらなる飛躍のために、経営改革や社内改革に力を入れ始めたのが2000年前後のことです。会社設立30周年の節目となった1998年には、現在につながる「経営理念」や「行動基準」など、さまざまな指針を大きく打ち出していきました。
さらに、「すべてのステークホルダーから信頼されることが、企業の健全な成長発展に欠かせない」という考えから、「社会貢献」への取り組みや「価値ある仕事」の創出を経営活動の中心に据えようという動きも出てきます。頑張った人が報われる「公正な評価」を取り入れた「新人事制度」がスタートしたのもこの頃でした。また、同時期には新ブランド店「イル・サローネ」が次々にオープン。収益性の高い大型店舗も相次いで登場しています。
「より多くのお客様に喜ばれる娯楽を通じて豊かな暮らしを実現します」という、現在の経営理念が生まれたのは2007年のこと。「100年企業」を宣言し、未来へのビジョンを明確化したのもこの時期です。そして、創業70年を迎えた2016年、「感謝の気持ちを伝えよう」という「新・行動基準」が制定され、また同年には飛躍期の飲食店1号店として難波に「又来家」をオープンしたのである。この新体制では「人の成長が、企業を成長させる」という信念のもと、人材育成の考え方、手法がさらに洗練されていきました。そして今、当社(MARUISHI グループ)が目指すのは、社員一人ひとりが「働きがい」と「誇れる価値」を持てる企業となること。その挑戦はすでに始まっています。
会社沿革
昭和21年〜
昭和21年 10月 | 先代社長・徐奇煥が大阪市生野区で創業 醤油の製造開始 |
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昭和29年 11月 | 大阪市中央区にてパチンコホール「銀星」をオープン |
昭和35年 10月 | 大阪府池田市にてパチンコホール「エリート池田店」をオープン |
昭和38年 12月 | 大阪府吹田市にてパチンコホール「豊津会館」をオープン |
昭和42年 11月 | 大阪市東成区にて総合レジャー施設「アサヒスポーツセンター」をオープン |
昭和42年 11月 | 「株式会社アサヒスポーツセンター」を設立 |
昭和49年 12月 | 大阪市東住吉区にてパチンコホール「エリート東住吉店」をオープン |
昭和58年 5月 | 大阪府門真市にてパチンコホール「エリート大和田店」をオープン |
平成3年〜
平成 3年 4月 | 「株式会社アサヒディード」に社名変更 |
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平成 5年 9月 | 大阪市中央区本町に本社移転 |
平成 7年 4月 | 大阪府茨木市にてパチンコホール「イル・サローネ茨木店」をオープン |
平成 7年 6月 | 大阪府池田市にてパチンコホール「イル・サローネ池田店」をオープン |
平成 8年 4月 | 「豊津会館」の屋号を「N.E.X」に変更 |
平成10年 2月 | 創立30周年記念社員大会開催。新経営理念・行動基準発表 |
平成14年 12月 | パチンコホール「エリート東住吉店」新築リニューアルオープン |
平成16年〜
平成16年 8月 | 大阪市西淀川区にてパチンコホール「イル・サローネみてじま店」をオープン |
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平成17年 4月 | 大阪府泉佐野市にてパチンコホール「イル・サローネ泉佐野店」をオープン |
平成18年 3月 | 「N.E.X」の屋号を「イル・サローネ阪急豊津店」に変更 |
平成18年 4月 | 「エリート大和田店」の屋号を「イル・サローネ大和田店」に変更 |
平成18年 9月 | 大阪府八尾市において「商品管理センター」を開設 |
平成19年 4月 | 「経営の基本方針」を制定 |
平成19年 7月 | 「エリート東住吉店」の屋号を「イル・サローネ東住吉店」に変更 |
平成19年 10月 | 「チャレンジシップフォーラム2007」を開催 |
平成19年 12月 | 兵庫県三田市にてパチンコホール「イル・サローネ三田店」をオープン |
平成21年 3月 | 大阪府貝塚市にてパチンコホール「イル・サローネ貝塚店」をオープン |
平成21年 12月 | サービスコンセプトの発表 |
平成25年〜
平成25年 4月 | 大阪府藤井寺市にてパチンコホール「イル・サローネ藤井寺店」をオープン |
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平成26年 2月 | 大阪市平野区にてパチンコホール「イル・サローネ平野店」をオープン イル・サローネ平野店に併設し「なにわ豚テキ」をオープン |
平成28年 3月 | 新・行動基準 「感謝の気持ちを伝えよう」を策定 |
平成28年 4月 | 大阪市中央区にて「なんば千日前焼肉処又来家(またらいや)」をオープン |
平成28年 4月 | 第4次中期経営計画(2016年度‐2018年度)リリース |
平成28年 10月 | 創業70周年を迎える |
平成29年 11月 | 会社設立50周年を迎える/50周年記念社史を編纂 |
平成29年 11月 | 会社設立50周年記念行事「チャレンジシップフォーラム2017」を開催 |
平成30年 11月 | 「全社方針共有会2018」を開催 |
令和2年5月 | 大阪市浪速区湊町に本社移転 |
令和2年8月 | 千葉県船橋市に「イル・サローネ習志野店」をグランドオープン |
令和3年10月 | 大阪市「中崎町」にカジュアルイタリアン「マローネ」をオープン |
令和4年10月 | 大阪府吹田市に「24h BurrnGym 江坂店」「PILATES AXE江坂店」を同時オープン |